学習規律は手段でしか無い
全員に分からせるより、全員が誰に聞けば分かるか、分かっている方がいいと私は思っています。全員に分からせるのは
「みんなができるようにすること」
「誰に聞けば、自分は分かるのか、分かるようにすること」
「学習は、自分で一番良い方法で学習すること」
「人の邪魔をしてはならないこと」
など、『学び合い』の原理だけです。
教師の甘い幻想など、早く捨てて、現実的な解決法を考えるべきです。
上記引用文で主張しているとおりですが,授業中は「席を立たない」「静かに教師の話を聞く」「わからないことは友だちではなく教師に聞く」といった学習規律は必要ないと私は思っています。なぜなら,その規律は「教師が管理しやすく,授業しやすいためのもの」であるからです。もちろん,他の学習者の妨げとならないため,といった理由もあります。しかし「みんながやりやすいように」するのであれば,分かり方がそれぞれ異なっている学習者にとって一定の規律で押さえつけるのは違うと思います。
例えば,子どもが家で宿題をやるとき,大きく分けて「リビングでやる派」と「部屋でやる派」に分かれると思います。それは「騒音の中でも集中できるかどうか」でわけられると思います。それだけとっても,良い学習環境というのは人によって違います。ならば,全員にとって一番良い学習環境は教師が与えるものではなく,子どもたちが作り上げていくものだと思います。
たとえ,一斉指導の中であっても,それをある程度構築することができると思います。そのある程度を見定めることができればいいかな,と思っています。