天気と機嫌

 人の心というものは天気に似ている。雲ひとつない快晴かのように機嫌が良い時もあれば、豪雨のように悲しみに満ち溢れていることがある。

 ある中学生は非常に機嫌が悪かった。その悪さというのも豪雨しか降らない梅雨のようで、なかなか止むことはなかった。心が雨模様、なんていうように天気と機嫌というのは密接に関係しているわけだ。

 では、どれだけ関係しているのだろうか。雨の日、人は誰しも機嫌が悪くなるのだろうか。そんなことはない。では、晴れの日はみんな機嫌がよいのだろうか。それも違う。確かに天気と機嫌はつながりがあるのかもしれない。しかし、完全につながっているとも言いがたいわけだ。

 運勢だってそうだ。運がよい時もあれば悪い時だってある。それは天気と関係があったとしても、晴れの時が良いわけでなく雨の時に悪いわけではない。それだったらみんな晴れの日に年末ジャンボを買えば、みんなが1等前後賞だ。

 天気は常々人の機嫌や運勢など、人間の様子と絡められて言及されることがある。しかし、それは単なるこじつけであることが多く、それを信頼し切ることは難しいことだ。天気一つで運勢が変わるわけがない。

 もちろん、運勢というものも機嫌というものも否定するわけではない。ただそれらは一過性に良くなったり悪くなったりするだけなのだ。しかし、機嫌も運勢も天気予報のように予測できるようになれば多くの人は幸せになれるだろう。機嫌は予測できない、運勢もまたしかりだ。

 明日、運勢が良いならぜひとも年末ジャンボを買って幸せを得たいものだ。