プログラミング教育戦国時代
いよいよ、今年の春から全国の小学校でプログラミング教育が始まる。
プログラミング教育は、プログラマを育成することが目的ではなく、プログラミング的思考力と呼ばれるロジカルシンキングのような能力を身につけることが目指すところになる。そのため、プログラミングと聞いて連想するような英文の羅列?の書き方を覚えることを目指しているわけではない。ゲームやいつもみているニュースサイトなどがどのように作られているのか理解することも求められる。
このようなところまで理解している人はそこまで多くはないようだ。
プログラミング教育でプログラマになれるわけでは決してない。
しかし、そういった技術を身につけておくことは将来のためにも有効ではある。
そのため、プログラミング教育の実施が近づくにつれて多くのプログラミング教室が生まれている。
ロボットの動かし方を学んだり、アートを描いてみたり、ゲームを作ったり、アプリを作ったり、新たなものづくりとして機能している。
保護者も興味が増してきているようで、今は誰もがプログラミングといっている。
もちろん、これが長続きするわけではなく、次第に声も聞かなくなっていくことは考えられる。
だが、英会話がずっと習い事として残っているように、誰もが身につける必要性を感じ続けるならば、これからも残っていく。
業界として広く普及し、誰もが学ぶ楽しさを知ってほしい。
そして、その先に産業として成り立ち、新しい習い事の選択肢として立ち上がり、エンジニアに興味をもち、行動する子供が増えると楽しくなると信じる。
下手でも始める
プログラミングを学ぶにあたって詰まったことと、そこから学んだこと - mizchi's blog
このブログの記事の書き方自体も上記に書かれている考え方をベースにしている。
オブジェクト思考なんて言葉は普段プログラミングに接していなければ聞くことのない言葉だ。
だからこそ、この記事にある細かい専門用語についての理解もそれらの重要性も上手くは伝わることはない。
しかし、上記記事で主張している大切なことはたった2つだ。
「短期間での実践を繰り返す」「下手でもいいから仕上げる」この二つだ。
例えば、ピアノを弾けるようになりたいのなら短期間で1冊練習を終えることだ。
山のように失敗もするし、弾けない箇所なんていくらでも出てくる。
しかし、1冊終えたことで達成感も得られる。次のを頑張るきっかけになる。
その結果継続していくことになる。
これを短い期間で何度も繰り返していけば、頭が、手が、どんどん覚えていってくれる。必要感を感じてくれる。
このブログも同じ。
もちろん、誰かに伝わり、共感を得られればこの上なく嬉しいが、それよりも安定して書けるようになることが遥かに大切だ。
ということで、あまり構成も気にせず、短い時間で書き切り公開することに専念している。
ゴールがあるならそこに向かって全速力であるべきだ。
電子書籍で読書
「Kindle キッズモデル」にカラフルな絵柄入りの新色登場 - ケータイ Watch
小学生に限定される話になるが、小学生向けの本には耐久性も求められるため、ハードカバーの本が多い。
もちろん、ソフトカバーの本もあるが、単純に量としても多いし、ハードカバーのため分厚い。
そうするとランドセルに入れるのも一苦労になる。
最近は子供の学校用鞄が重たすぎるため置き勉を認めるよう働きかけるような事例もあるときく。
そのため、こういった電子書籍にまとめられるのは非常にありがたい。
しかも、スマホやタブレットのような画面ではないので、目の疲労も抑えられている。
また、電子書籍にすることで本特有の「これだけ読んだ」「あとこれだけ」という厚みによる読書状況の把握ができなくなるが、それゆえにこれまで厚さを理由に読まなかった本と出会う可能性も広がる。
残りの課題は学校がこれの持ち込みを認めるか、である。
多少の検索はできるが、電子端末になるのでスマホと同様の制限を受けることになるに違いない。
生徒の登下校の負担軽減、本に出会う機会の拡大のためにも、ぜひ認めるような空気が醸成されていって欲しい。
プログラミング教育で大切なこと
小学校で「VTube授業」を見て分かった、プログラミング教育より大切なこと | 日経 xTECH(クロステック)
Vtuberやゲーム実況などのyoutubeの動画は小中学生の中でも一昔前の妖怪ウォッチなどと同じレベルで普及している。
だからこそ、授業に取り入れれれば児童生徒の意欲・関心は大きなものになる。
来年度、もう数ヶ月後には始まるプログラミング教育でもこれらの実践は多く登場するはずだ。
忘れてはならないのはプログラミング教育でそもそも何をできるようにしたいのか、だ。
プログラミング教育は、プログラミング的思考力、大雑把にいうとプログラミングの仕組みの理解と論理的思考力の習得が目指すところとなる。そのため、いくら1人一台のpc環境を整えるにしても基本的にはプログラミングをするのではなく、論理的思考の訓練が多くなる。
プログラミング教育を行なっていくと(他のカリキュラムでもそうなるだろうが)創作するということがグンと増えていく。考えたことを表明する場面が増えてくる。
これは単純に受け身な授業の受け方を変えていこうとする流れでもある。以前はアクティブラーニングがそれを担おうとしていたところだ。プログラミングをしてゲームを作れば当然発表する。プログラミング教育の一環で、速い走り方を探求すれば、探求した結果をアウトプットすることになる。そういう実績を評価することができるようになる。
そのため、今後は評価方法にも変化が起きることが考えられる。
児童生徒には様々な作品制作、表現活動を通して、アウトプットすることへの抵抗感がなくなり、自由にものづくりをしたり議論ができるよな人に育って欲しい。
範を示す
男性でも育休を取っていい。
そう言いつつも取りづらい現状の中、まず政治家が率先して育休を取ることは国民への手本となるので、良い流れ。
もちろん、この一例で全部変わるとは思わないが、きっかけの一つとして機能することを期待してます。
教育のゴール
一斉授業・授業統制技法の延長で1人1台をやるのはしんどい。それが出来るのはスーパーな人だけ。でも、一見、指導技術的には劣るように見える海外の先生方が普通に1人1台の運用が出来るという事は、【授業統制技法としてのICTを捨てろ】という示唆に他なりません。
この言葉がとても刺さります。
同時に違和感の状態に気がつくことができた。
日本のこれまでの学習におけるゴールはみんな一緒だった。
しかし、みんな進学先も就職先も何もかもが違うのだから同じゴールはあり得ない。
あくまで、統制という演出上のゴールでしか無かった。
児童生徒のためのゴールといいつつ、教師側の一方的な都合によるゴールだったんだ。