死生観について

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私の死生観の期限は父方の祖父の葬式における母方の祖父のふるまいです。

 

当時、私は亡くなった祖父の死に直面して、どう悲しめばよいのか、そもそも悲しめばよいのかわからず、泣かなければならない、という使命感にも狩られていました。

 

そうやって気がつくと葬式が終わり、火葬です。

火葬が終わり、遺灰を前にした母方の祖父は、

「こんがり焼けたかな」

と言いました。

当時の私は非常に怒りました。

祖父がなくなっているのにその言葉はなんだ。

祖父のその何気ない一言に傷つけられたのでした。

けど、今になって思うと、多くの人が亡くなるのを見てきて、そうやって死んでいくことが当たり前になってくるとこうなるのかな、と思うようになりました。

 

そして、この記事を読んでみるとその死生観は江戸時代からの死生観だったんだと感じました。

私の死生観も死を常に覚悟している状態です。

死を覚悟しているからこそ誰かの死も素直に受け入れられるようになりたいです。

けど、それはなかなか受け入れられることが出来ないでしょう。

少しずつ少しずつ他人や自身の死を受け入れられるようになりたいです。