読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

利他的思考に隠れた利己的思考

自分に関すること

私の現状を予測できるようになったのはいつだろう,と考えます。

 

きっと教職大学院時代の私なら現状を予測することが出来たでしょう。

実は大学4年の就職活動の頃,二社だけ今の業種の企業を受けたことがあります。

片方は面接してお祈り,もう片方は必要書類を送らずにお祈り。

 

そのときから,

 

「頑張りたい」に報いたい

 

と思うようになりました。

そうして,現状を変えるには自分も教育に携わる必要があると感じました。

 

「すっげぇことをしたい」

「みんなから尊敬されたい」

「普通なんだけどちょっとすごくいたい」

 

そんなことをきっと大多数の人が少なからず抱いていると思います。

それは絶対にまちがった考えなんかではなく,自分をたぎらすためのとっておきの呪文願いなんだと思います。

 

小さい頃,一番古い私の夢はゲームプログラマーになることでした。いや,きっとゲームを作るプロデューサーだったかもしれません。ともかく,

「ゲームってすっごく面白い。今度は僕は子どもたちを楽しませたい」

と思ったんです。

 

こう考えてみると,本当に自分は小さい頃から利他的な思考をしていたのだと思います。

それは今でも変わっているとは思いません。これからも。

 

そうして今は「一人だって手からこぼれ落としたくない」と思っています。

結局は他者のことを考えているんですが,そこに自分が含まれるようになったと思います。

 

少し利他的から利己的な考えも芽生え出したようです。

 

 

大学の頃,尊敬している教授からこう教わりました。

「お前は何で吹奏楽をしてる」

「お客さんが楽しんでくれるからです」

「違う。お客さんが楽しんでいるのを見ている自分が楽しいからだろーが

 

利他的な目的には必ず利己的な一面が隠れているんだと気付きました。

次に出会った教授は「一人も見捨てない」を徹底的に貫こうとしています。

その源泉には「もうこんな体験はいやだ」という気持ちが隠れているようにも思えます。

 

誰かのため,というのは救うことで自分も救われるからなんだと思います。

悪いことじゃありません。真っ当なんです。

 

 

 

私の現状を予測できるようになったのはいつだろう,と考えます。

利他的な考えであるならば,こういう業種を知った時から予想出来ていたのかもしれません。

誰かのため,という利他的な願いの中に利己的な自分の願いを隠しているのだから。