顔色を伺う

人間は生きていく上で他者とのかかわりは切っても切り離すことが出来ない。人間である以上,他者から嫌われる,ということも避けたがる。そうすると必然的に相手の顔色を伺っては都合よく発言を変えてしまう人だっている。

相手に怒られないように,相手から好かれるようにするために顔色を伺いながら人はどうしても付き合いをしてしまう。それ自体に悪いことは決してないわけだが,それで支離滅裂になってしまうことが問題だ。

ある方では信頼していることを告げて信頼感を勝ち取り,ある方では信頼出来ないといい相手を引き落とそうとすることだってある。顔色を伺って発言を変えることで自分の立ち回りをよくし,他者の立ち回りを悪くしようとする動きだって見えてくる。

そういったときに自分は決して顔色を伺って発言を変えてはいけないわけだ。相手の土俵に入って勝負をするのはどうも負け戦になりがちだ。勝負というのは自分の土俵でするからこそ勝つこともできるし負けも認めやすい。

顔色は刻一刻と変わり続ける。そんな刻一刻と変わるものをいちいち気にしているようではあっという間に精神的に疲れてしまう。健全に生きるには健全な生き方がある。誰に対しても言葉を変えないことだ。言葉は立場によって変える必要がある。言葉を変えざるを得なくなっても方針だけは変えてはいけない。方針こそ個人を決定づける大きな要素なのだ。