授業を人目につけよう


『学び合い』信仰が前提としていることの問題点: 教育失敗学から教育創造学へ

 

『学び合い』に限ったことではありませんが,授業っていうのは常に開かれるべきだと思います。

ちょっと違った話ですが,中国の学校(確か中学校)では,生徒がなまけないように教師の後ろに監視室があってそこで生徒の様子を別の教諭が確認しているようです。

ひと目につくのであれば,雑な授業にはなりえません。ただそうすると授業の準備に多大な時間がかかり毎日が徹夜になる方もでてきます。そこで,月に1日でも授業公開日を作ってみてもいいでしょう。

 

目的は「子どもたちの様子を多様な目で見取ること」です。一斉授業であろうと『学び合い』であろうと,教師1人で見れる量に限りはあります。1人で数十人をすべての授業で見取り切るなんて無理なことです。聖徳太子ですら十人が限度です。

 

様々な人に授業を見てもらい,一言でもいいから教師に何かメッセージを言ってもらう。それだけでいいんです。それだけで授業をする教師にとっても新たな視点になります。子どもにとってはちゃんとやらないとと真剣にやろうとします。

理想は学校という場がコミュニティのたまり場になることです。ふらっと河川敷の草野球の試合を見るような気軽さでみんなで授業を見たり,あーだこーだ言い合えるのが理想です。子どもにとっても教師にとってもプレッシャーでしょう。けど,それこそが地域に根ざした学校のあるべき姿ではないでしょうか。