多様性と自由について
http://mainichi.jp/premier/business/entry/index.html?id=20150623biz00m010012000c
子供を褒める、というのは人によっては大変難しく感じることがあると思います。
また、ルールを守らないような子供に対しては叱ってばかり、ということもあるのではないでしょうか。
上記記事では、アメリカの幼稚園での教育方針が紹介されています。
今日は、とある機会に恵まれ、中学生のスピーチを聞くことが出来ました。
人種差別をテーマにしたもので、人種差別という視点を持つことの大切さを自分の体験を基に訴えていました。
アメリカの幼稚園でも、中学生のスピーチでも「多様性を認めるべき」という点は共通しています。
一つ人間と言っても、いろんな血があり、人種もあります。そして性別や国籍、信仰も全く違うわけですから、行動の規準や思考、生活リズムも変わってくるはずです。
ただ、「多様性を認めるべき」という言葉を勘違いし、何をしても良い、というわけではありません。
「多様性を認めるべき」といっていても一定のルールを守った上での話です。
例えば、授業を椅子に座ってヒトコトも喋らずに先生のいうことを聞いてノートを書いていく、なんて縛られた授業形態に馴染めない子供がいることに想像は難しくないでしょう。
そんな子でも「他の子の授業を受けることを邪魔しない」というルールの上で自由にさせたり、そのための手立てを講じることは必要なことです。
多様性、という言葉は「自由」という意味ではありません。
「一定のルールの上での自由」と私は捉えています。