続けること
発信すること
日曜日に買い物で外出すると大抵子連れ客に出会います。
喫茶店やファミレスなんかで出会うと子どもと親(祖父母含む)の会話が聞こえてきます。
「甘いー」「硬いよー」「ねー汚れちゃったよー」「◯◯(妹)も美味しそうだよ」
などなど,自他の様子,特に自分の感想を保護者に伝える様子が本当に多く見られます。
人間っていうのは本来このような情報や感情を発信することを本能的に行うように作られています。
人類にとって最大の発明は文字文化です。
文字という書くルールがなければ記録しても解読することに時間がかかり,故人から学ぶことができなくなるからです。
人類は文字を開発することで言葉だけでなく,知識・記録・感情を残すことが出来るようになり,先人の書を読むことでその一歩先を歩むようにしてきました。
今も私たちは教科書を始めとする書物を読むことで先人の学びを血肉に変えています。
文字は人類が生まれ持つ発信する力を死後も行うことが出来るようにしてくれました。
そして,インターネットの普及でその発信力は一気に高まりました。
今後は必要な知識,情報発信源にたどり着く力,技術が進化することでしょう。
自分にとって素敵な場所
自分の部屋の状態というのが自分の心の状態を表している,という言葉があります。
非常によく表した喩え話だな,と思います。私の部屋は最も散らかっていた時期からは綺麗になりましたが,まだまだ散らかっています。なんとかしなければ,と思ってもなかなか手が動き出しません。手の前に腰が重たいのかもしれません。
部屋というのは自分の(ある程度)好きなようにレイアウトを決めて,飾るものを飾って使いやすく,住みやすく作り上げていくことが出来ます。自分にとってこれがいい,という形は当然あるのですが,その部屋に物はあまりない事が多いです。しかし,私の荷物はいろいろとある。どうやってそれを見えないようにすべきでしょうか。
部屋というのは自分の心情をものの見事に移しきっています。そこに帰りたい状況があることが心理的にも最も良い状況でしょう。しかし,帰りたくない,居たくないと思うようであれば,部屋だけでなく,心も綺麗にすべきです。本心に嘘はつけません。考えることは最小限に。部屋のものも最小限に。ミニマリストではありませんが,考えるもの,ある物どちらも少ないほうが過ごしやすいです。
最適な勉強法
先日、実家に帰った時屋根裏部屋で昔の資料をひっくり返して見ていました。小学1年生と2年生の時のノートやプリントです。
成長に立ち会う
顔色を伺う
人間は生きていく上で他者とのかかわりは切っても切り離すことが出来ない。人間である以上,他者から嫌われる,ということも避けたがる。そうすると必然的に相手の顔色を伺っては都合よく発言を変えてしまう人だっている。
相手に怒られないように,相手から好かれるようにするために顔色を伺いながら人はどうしても付き合いをしてしまう。それ自体に悪いことは決してないわけだが,それで支離滅裂になってしまうことが問題だ。
ある方では信頼していることを告げて信頼感を勝ち取り,ある方では信頼出来ないといい相手を引き落とそうとすることだってある。顔色を伺って発言を変えることで自分の立ち回りをよくし,他者の立ち回りを悪くしようとする動きだって見えてくる。
そういったときに自分は決して顔色を伺って発言を変えてはいけないわけだ。相手の土俵に入って勝負をするのはどうも負け戦になりがちだ。勝負というのは自分の土俵でするからこそ勝つこともできるし負けも認めやすい。
顔色は刻一刻と変わり続ける。そんな刻一刻と変わるものをいちいち気にしているようではあっという間に精神的に疲れてしまう。健全に生きるには健全な生き方がある。誰に対しても言葉を変えないことだ。言葉は立場によって変える必要がある。言葉を変えざるを得なくなっても方針だけは変えてはいけない。方針こそ個人を決定づける大きな要素なのだ。